吉岡さん
スポーツが大好きで、学生時代はサッカー、社会人になってからはゴルフにドはまり。
どちらかというと内向的な性格で、とくに社交的でもなかったですね。
多分スポーツが僕と人とを上手く結びつけてくれた気がします。
そんな勉強よりスポーツタイプだった僕が教育系出版社に就職。
大学受験用の問題集や参考書を編集するというなかなか地味な仕事をしていました。
でも、じっと原稿とにらめっこする作業は、意外と自分の性分に合ってたみたいです。
会社の野球部に入り、有志でゴルフ部をつくったり、結構充実した会社員生活でした。
・2014年、44歳の時に発症し、翌2015年にALSの確定診断
・2019年、気管切開し、同時に胃瘻も造設
・2020年、重度訪問介護を月744時間(1日24h)獲得。
ALSになって仕事もやめて、自分が何者か見失いかけましたが、焦っても仕方ないなぁと。
今はあまり自分にプレッシャーをかけず、のんびり各駅停車で行こうと思っています。
今できることを一つ一つ積み重ねながら、支えてくれる人たちとの接点を大切にしています。
2005年撮影。35歳。ちょっと嫌がっているこの猫は「おとうちゃん」。野良出身。近所の野良猫たちのうち何匹かは彼の子ども。母親も一緒に引き取って飼っていた。綺麗な三毛猫で、名前は「おかあちゃん」。
2025年撮影。我が家のわがまま王子こてつ。愛称てっちゃん。看護師やらヘルパーやらお風呂屋さん達のアイドル。時々私のベッドでリラックスしてウトウトすることも。
2021年撮影。毎年恒例のお花見。近所の小さな川沿いの桜並木にて。病院に行くことを除けば、外出はこのお花見ぐらいです。もう少し外に出てもいいかなと思ってるのですが・・・。
気持ちの変化
吉岡さんは気管切開をされていますが、わずかに声を出して発話することができます。その声をヘルパーの玉置さんが聞き取り、復唱する形で私たちに伝えながら、インタビューが行われました。
転校を繰り返し、静かに目立たないようにしていた子ども時代。サッカー部の仲間と過ごし、自分を出せるようになった高校時代。言葉の壁にぶつかるもスポーツに救われた留学生活。
言葉に惹かれ、編集という仕事に打ち込んだ日々。そして、言葉との距離が大きく変わった今。
吉岡さんが、これまでどんなことを大事にして生きてきたのか、これからどう向き合っていこうとしているのか——赤裸々で、素直な気持ちをお話しいただきました。
ー経歴を拝見すると、とてもスポーツがお好きで、ダイビングやスキーもされていて、すごいなと思いました。学生時代は水泳部だったんですよね。
吉岡さん
覚えているかな(笑)
ーまずはアイスブレイクということで、最近のグッドニュースをぜひ教えて下さい。
吉岡さん
僕のグッドニュースは今回、ノックオンザドアの方々と繋がりが持てたことがすごく、刺激になってる。久しぶりに外の世界とその世界の人たちと接することができて、ちょっと嬉しいです。それが僕のグッドニュースです。
ーありがとうございます。何年後か先にもずっと同じように良かったなと思ってもらえるように、私たちも頑張りたいと思います。本日はどうぞよろしくお願いします。
ーお住まいは今のところにずっと住まれているというわけではないんですよね?
吉岡さん
僕は生まれてからずっと引っ越しばかりで、あちこちを転々としてきました。生まれは大阪で、そのあと福岡、中学と高校はまた大阪、大学は京都、就職してからは東京、という感じです。細かい引っ越しも含めるともっとあるので、ざっくり言うとこんな流れですね。
両親の仕事の関係や、自分の仕事の関係で引っ越しが多かったです。このあいだ数えてみたら、10回以上はしていました。
そういう意味では、僕にはふるさとがないですね。幼稚園も小学校も中学校も2つずつ転校しているので、友達とずっと関係をキープする、ということがなくて。その時その時の友達と遊ぶ、という感じですね。続ける、というよりは。
ー転校する時はいつもどんな気持ちでしたか?
吉岡さん
とにかく目立たないようにしていましたね。おとなしく、静かに。当時は、目立つと不良にいじめられる、みたいな時代でもあったので。実際にいじめられることはなかったんですが、とにかく静かに、目立たないようにしていました。
ー遊ぶときは、学校の友達というよりは、家で過ごすことが多かったですか?
吉岡さん
クラブに入っていたので、そっちをがんばっていましたね。小学校では町内のソフトボールをやっていて、あと仲のいい子と釣りをしたりもしていました。中学校は剣道、高校はサッカーです。高校の頃は、ちょうどマラドーナが活躍していた時代で。
サッカーはそのあとも、大学や社会人になってから同好会みたいな草サッカーを続けていました。ただ、年齢とともにだんだん体力が続かなくなって、辞めてしまいましたが。
僕は、スポーツは見るよりも自分でするほうが好きですね。じっとしているのが、あまり得意じゃないので。
ーご両親の教育方針みたいなものが影響したりしているんですか?
吉岡さん
いえ、全然。父は単身赴任が長かったこともあって、あまり関わりがなくて。母も仕事をしていたので、教育的なことで何かいろいろ言われた、ということもなかったです。
ーご両親や友人に進学や就職について相談することはありましたか?
吉岡さん
自分で考えて決めました。友達もそれぞれ自分の考えで進学や就職を決めていましたし、影響を受けることはなかったと思います。
就職については、大学のときに7か月カナダに留学して、そのときのことを出版する機会がありました。そこで「出版」にとても興味を持って、目指すようになりました。
ー留学と出版のところを詳しく教えていただけますか。
吉岡さん
大学2回生のときに、100人が選抜されてカナダに留学し、そこでの出来事を各自が手記にして、本にまとめるという企画がありました。その100人の選抜にも応募しましたし、本にまとめるという企画にも自分で手を挙げました。本は、確か5、6人でまとめたと思います。
ー小さい頃はなるべく目立たないように静かにっていう子どもだったけど、大学になって立候補するようになったりと、何か心境の変化みたいなものがあったんですか?
吉岡さん
高校で変わったと思います。小中学校は同じところにずっといなかったけど、高校は3年間同じ学校でした。サッカー部の仲間と密度の濃い時間を過ごしたことで、自分に遠慮したりしなくなったのかな、と。
付き合えば深く付き合えるけど、最初はどちらかというと様子を見るタイプ。
大学に入ってからは、何か自分の中で没頭できるものが見つからず、モヤモヤしていたんじゃないかと思います。自分の環境を変えるチャンスだと思って、留学に飛びついたんじゃないかと、今は思います。
ー留学先ではどのように過ごされていたんですか?
吉岡さん
留学先では、カナダの学生寮で、現地の大学生とうちの大学の学生が一緒に住んでいました。1つのフロアに15人くらいで、日本人が5人、現地の大学生が10人くらい。7か月間、ずっと一緒に過ごしていました。
ーその時どんなお気持ちでしたか。最初は様子見するということでしたけど。
吉岡さん
そのときでも、役に立ったのはスポーツでしたね。言葉は通じなくても、スポーツで交流できた感じです。サッカーもしたし、ボールホッケーなんかもやりました。
スポーツは、言葉が通じなくても、いいプレーをしたら応援してくれるし、声もかけてくれる。そういうところが、自分には良かったですね。勉強は全然できなかったですけど(笑)。
もともと英語という言葉そのものに興味があって、本当は語学の辞書を作りたかったんです。就職では教育関係の出版会社に行くことはできたんですが、結局、辞書の担当にはなれませんでした。
高校や大学の頃には、英和辞典や英英辞典がありましたが、僕は英英和辞典を作りたかったんです。英語の単語を英語で説明していて、その説明文の英語を和訳している、そんな辞書です。
中学校と高校で6、7年英語を習って、選抜だったのでTOEFLもちゃんと受けてカナダに行ったのに、全く役に立たなくて……ちょっとショッキングでしたね。学校で習う英語と、普通に使われている英語とのあいだに、かなりギャップを感じました。それが、辞書を作りたいと思うようになったきっかけの1つです。
言葉が通じないストレスは、結構大きかったですね。だからスポーツを通して共感したり、悔しがったり。そういう気持ちを、スポーツを通じて向こうの人たちと共有できたのは、よかったと思います。
ー今もその時の人と交流があったりするんですか?
吉岡さん
ないですね。どちらかといえば、人物よりも、その言葉、ストーリー、言葉と言葉自体に興味があります。土地が変わっても人間関係を引き継いでいくことはないですね。昔からそうですね。幼少期からの引っ越しの感覚のような。
ー吉岡さんがカナダへ行って、言葉の壁にぶつかったということでしたが、これまでの人生の中で、これ結構大変だったけどなんとか乗り越えたぞ、みたいなことを教えてもらえますか。
吉岡さん
そう言われると、仕事かな、やっぱり。仕事は結構、一生懸命、自分なりにやっていたと思います。自分の会社が好きだったので、仕事にも打ち込んでいました。大変なこともありましたけど、何かを達成するたびに、大きな喜びとして自分に返ってきた、という感覚はあります。
例えば、先生が原稿をぜんぜん書かないとか。刊行日をずらすことはできないので毎日督促して。当時はFAXだったので会社で寝ずに待って、朝の4時くらいに一部送られてきたりして、それで先生のところに行って・・みたいなことを繰り返したり。
そういう細々とした苦労ってどんな仕事もあると思うんですけど、それがちょっとだけ楽しく感じてました。編集という仕事が好きだったということと、会社が好きだったので、ちょっとしたつまずきも楽しかったかなと思います。
ーいろいろ大変な思いをされている中でも、「会社が好き」「編集が好き」という言葉が出てくるのが、すごいなと思います。
吉岡さんが、この会社が好きだと思えるのは、どんなところから来ているんですか?
吉岡さん
ものを作る仕事だったからだと思います。小中学生のときは漠然と建築をしたいと思ってたんですが、全く理系がダメで文系になったんですけど。文系でもゼロからものを作るということ、編集がそういう仕事だと感じています。自分の会社が好きなのは、高校の時に自分の会社の商品を使ってたからですね。
ー吉岡さんの仕事でのご苦労もあった中で、ご自分の人生の中で、すごくつらかったなっていうことはありますか。
吉岡さん
働いてる時に、そこまでつらいと思ったことはないけど、やっぱりこの病気で仕事を、仕事ができなくなるという感覚は、もうちょっと・・・表現ができないくらい沈みます。
ーそうですよね。大好きだった仕事ができなくなる、というのは本当につらいですよね。
今、吉岡さんとメールでやりとりさせていただくなかで、文章の中に編集者としての片鱗というか、光るものが見えるなと感じたりもするのですが。
吉岡さんがこれまで培われてきた力を、今やこれから何かに使っていこうというお考えはありますか。
吉岡さん
はっきりと自分の中であるわけじゃないけど、この病気になって、言葉のコミュニケーションがかなり難しくなって。こうして話してても、言葉を端折ることが多い。自分の気持ちとか考えていることを伝えるのは、文章にして伝えるのが一番じゃないかと思っています。
ここに時々、看護師さんと実習生さんが来るんですが、実習生から質問を受けたときは、文章で答えるほうが一番正確に自分の気持ちが伝わると思っています。実習生さんも本当に時間がないので、向こうから積極的に聞きたいと言ってきたときだけ、文章でお答えさせてもらっています。
僕にとっては、社会的なつながりとか、社会貢献という意味では、今はそれくらいしかありません。でも、そういう機会があるだけでも、すごく励みになる。
ーALSになったことで新しく見えてきたことや、感じたことなどが、あれば教えていただけますか。
吉岡さん
もともと我慢強かったけど、いろんなことに対して寛容になることができている時もあります。1番近いところでいうと、自分に対して寛容になる。そもそも最初の出発です。できないことがどんどん増えていきますから、それをいちいち心で消化してたら気が狂っちゃう。だから、それをどうやって受け止める、受け止めるとは違う…違うんですけど。飲み込む、飲み込んでいく。そういう術を自分に無理やり身につけさせていったんじゃないかと思います。
ー「言語」というものが、吉岡さんにとって大きなインパクトだったのかな、と思ったんですが。言葉や辞書への興味だったり、文章でしっかりお答えしたいという姿勢も、そこにつながっているのかなと。そういった、言語に対する研ぎ澄まされた感性や感覚のようなものを、お持ちなのかなと感じました。
吉岡さん
自分を表現する力には、昔からあまり自信がなかったので、そこに強いこだわりを持っているのかもしれません。
昔から、すごくたくさん読書をしていたわけではないんですけど、読むとしたら、一つの作品を何回も読むタイプでした。たくさん読むよりも、何回も読むことで、表現を自分の中に身につけたい。そんな欲求で、読書をしていたんだと思います。
今、自分の中で何ができるかといえば、文章を文字にして、つながること、伝えることぐらいしか手段がありません。だったら、その手段にすがっていくことも、一つの生き方なんだなと、今話していて改めて感じました。
ー愛読書や好きな作家など教えていただけますか?
吉岡さん
繰り返し読んでいる作家は、開高健と三島由紀夫です。
ーありがとうございます。
ではヘルパーの玉置さんにも今日のご感想を聞かせていただけたらと思います。
玉置さん
僕は、吉岡さんと出会う前は製造業をやっていたので、本当に吉岡さんと出会ってから学ぶことが多いです。ALSについては、漫画『宇宙兄弟』の「せりか基金」に支援したことがあって、つながりとしてはそれぐらいでした。
吉岡さんがハローワークで介護者の募集をされていて、僕が連絡させてもらったときに、吉岡さんのほうから先に「私の病気はこんな感じで、仕事はこういう内容なんですけど、それでもよかったら面接に来てくれますか?」と言われて。僕のほうが頼み込んでいる立場なのに、すごく丁寧やなと思いました。
吉岡さんは、結構正直に気持ちを話されるんですよね。今日もさっきの「飲み込む」という表現とか、「吉岡さんの表現やな」って思いました。僕には出てこない言葉なので。
僕は、こういう場はわりかし好きだったりもしますし、吉岡さんの気持ちをこういう形で聞けるのは、改めていい機会だと思いました。こういうきっかけがないと、ここまでコミュニケーションを取るかというと、そうでもないので。
ノックオンザドアさんとの出会いとか、こういう機会が増えていくことで、吉岡さんの考え方もよく分かるようになりますし、吉岡さんの言い方でいう「外」とのつながりを持っていくところに、これからも参加できたらいいなと思います。良い機会をいただいて、こちらこそありがとうございます。
ー最後に吉岡さん、本日のこの時間いかがだったでしょうか。
吉岡さん
初めてお会いして名刺もらったときに、必ず僕からもう一度連絡しようと思いました。もしかしたら、大学の時に留学に飛びついた感覚に近かったかもしれません。
今日のインタビューに向けて、小さい頃からちょっと振り返ってみたんですけど、実際に質問されるとなかなかうまく表現できないですね。どこまで伝わったか不安ですけど、こうして自分のことを人にわかってもらう機会はなかなかないので、それだけでも今日は良かったと思っています。
ー吉岡さん、玉置さん本日は長時間ありがとうございました。またもっともっと吉岡さんのことお聞かせください。
開く
人工呼吸器を付けるかどうかについては、ずーっと悩んだまま時間だけが過ぎていきました。
呼吸器を付けるってことは24時間誰かがそばにいてケアをしなければならないってこと。
それが家族にどれほどの負担を強いることになるのかを考えるとすぐには結論が出ない。
かといって呼吸器を選択しないことを選ぼうとしても恐怖に震えてしまって悩みは深まるばかり。
私は日々弱くなる呼吸にもかかわらず、ぐずぐずと気管切開の決断ができずにいました。
そしてある朝、私は呼吸困難となり救急搬送され、気管切開手術を受けたのです。
・これからさらに病状が進行することにどう備えるか。
→コミュニケーション方法の工夫(コミュニケーションボードを使う、他の方法の検討)
→スイッチ類の買い替え検討(パソコンやタブレットの操作スイッチ、呼び出しチャイム)
→重度訪問介護の支給時間の追加申請をするかどうか(2人介護ができるように)
・かなり古い家なので部分的なリフォームをするかどうか
(私自身の住みやすさとヘルパーさんの職場環境の改善という点から)