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勇気と工夫とテクノロジーで人生まだまだ面白く
─今を受け止め鷹揚に楽しむのが私流

yukoさん

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yukoさん

プロフィール

お住まい(都道府県)
神奈川県相模原
年齢
アラ還です
発症歴
50才のときに症状が出て、52才で確定診断されました
コミュニケーション方法・出来ること
主に視線入力(パソコン上で視線入力、手元のスイッチで決定)。顔の筋肉も動くので表情でも伝えることが可能。※2025年取材当時
家族
52才のときに結婚した夫と2人暮らし
サポート体制
身障者1級。要介護5。
訪問診療:月2、訪問介護:週5、訪問リハビリ:週5、訪問入浴:週1、訪問歯科:月1

重度訪問介護の制度を利用し、2024年11月から自薦ヘルパーを導入しています。
夫との時間を確保するため、週に1日だけは介護保険のヘルパーさんに細切れに介助しに来ていただいています。

中学高校と水泳部で背泳の選手でした。毎日、朝練に夕練に明け暮れる思春期を送ります。卒業後は、あったはずの手足の水かきが無くなり(本当です)すっかり陸の人間になりました。

手先が器用だったので手芸洋裁プラモデル、小物の修理、しまいには実家の外壁修理・塗装にまで手を出すという今で言うDIY女子でした。

キーパンチャーという仕事を27年間、高齢者向け宅配弁当屋を8年間務めました。いずれも個人事業主という立場でしたから、キーパンチャーの頃、時代はバブル期、仕事の掛け持ち、徹夜は当たり前、仕事も遊びもフル回転。宅配弁当屋をしていた頃もお正月三が日しかまともなお休みはなく、発病した時には、生き急いでいたことを自覚し、もう少し自分を大切にする生活をしようと誓います。

2016年、球麻痺からALSを発症。2024年3月、気管切開をしました。
あの水泳部時代、ゴーグルの中に涙が溜まるほど辛い練習でしたが、今の私の底無しの基礎体力と、めげない心に繋がっていると思っています。
これからも、生活を工夫し、持ち前の明るさと能天気さで力強く生きて参ります。

私を表す写真

人生史

気持ちの変化

人生史 人生史

お話お伺いしました

視線で文字を選び、手元のスイッチで確定するというコミュニケーション方法で90分のインタビューに応えてくださったyukoさん。
スクーターレースやダイビング、事業など、持ち前の“イチカバチカ精神”で数々のチャレンジを重ねてきました。
ALSの診断を受けた今も、望む未来に目を向け、介護現場の意識改革にも取り組まれています。
迷いも受け止めながら前を向く、その歩みの中にあるyukoさんの経験や思いをお届けします。

経歴を拝見すると、とてもスポーツがお好きで、ダイビングやスキーもされていて、すごいなと思いました。学生時代は水泳部だったんですよね。

yukoさん

中三から高校まで

そうなんですね。で、選ばれたのは背泳ですよね。背泳が得意だったのは、やっぱり何かご自身の個性とか特徴があったんでしょうか?

yukoさん

身体が柔らかかったとか(笑)

そうですか。なんだか、その光景が思い浮かぶようです。ありがとうございます。今、お写真を拝見していて、結婚式でとても素敵なドレスをお召しになっている、とてもチャーミングなyukoさんが写っているんですけど、これは何年目、どのくらい前のお写真なんですか?

yukoさん

5年前

お二人の馴れ初めを聞いてもよろしいでしょうか?

yukoさん

私がロタ島に一人旅したときにダイビングで出会った人と今の旦那が知り合い

ご主人のご発言:日本人がやっているダイビングショップで一緒に潜った方が、帰国してから飲み会しようってことで、ボート仲間とダイビング仲間呼んで。そこで出会いました。 その後、2人でもロタ島にダイビングしにいきました。

お二人でも、その後行かれたんですか?わぁ、ロマンチックですね。ダイビングを始められたきっかけは、何だったんでしょうか?

yukoさん

祖父がサイパンで亡くなっていて。遺骨収集 探ししたかった。叶わなかったけど。

そうですか。ダイビングをされて、海の中で印象に残っている風景とか、特別な体験があると思うんですが、yukoさんにとって、ダイビングから得られる海の印象ってどんなものなんでしょうか?

yukoさん

まずは怖いよね。暗くて深いところ。でもロタホールは本当にきれい。バスクリンの中みたいな青い海。

ご主人のご発言:透明度が60mくらいある

(写真を見せていただきながら)そこに映っているのが…あ、そうですか、yukoさんなんですね。うわぁ、かなり深いところですよね。もう光がだんだん届かなくなって、少し暗い場所ですよね。

yukoさん

サメ怖い

サメは怖いですね。 実際にサメと遭遇したことはあるんですか?

yukoさん

大人しいのなら

でも、そこまで怖いという思いをしながらも、ダイビングするやっぱり魅力って相当あるんですね。

yukoさんの子どもの頃のことをちょっと伺いたいんですが、もしご自身の子ども時代をひと言で表すとしたら、「私はこういう子だった」といえるような表現ってありますか?

yukoさん

どのくらい小さい頃?

幼稚園とか小学生とか、その辺ですね。どんなお友達がいたのかとか、どんな遊びしたのかとか。

yukoさん

私立だったから近所に友達いなかった。一人で遊ぶこと多かった。

ご主人の発言:ランドセルの方がでかいぐらいの女の子が電車乗って通学してたみたいです。

よく近所の子に黒いランドセルしょってるといじめられた

(色々な写真を見せていただきながら)うわー可愛らしいですね。 アイドルみたいですね。
このバイクの写真は、経歴に書かれていたスクーターレースですか?

yukoさん

雑誌に載ってる。40年も前

yukoさん

こういう危険だったり、どちらかというと男性がやるようなスポーツに、あえてチャレンジされたのは、どうしてなんですか?

yukoさん

ご主人の発言:誕生日が1月8日だからイチカバチカの人生だよって本人が言ってました(笑)

小さい頃から乗り物好きで

乗り物がお好きなのは、どなたかの影響なんですか?

yukoさん

父だと思う

ああ、そうですか。お父様の影響なんですね。お父さんの影響で乗り物がお好きになったとおっしゃいましたけど、性格的なところでも、お父さんから受け継いだものってありますか?

yukoさん

頑固

お父さんからよく言われていたことってありますか?いいことでも悪いことでも、どんなことでも結構です。

yukoさん

特にない。ただ昔、ぬいぐるみと一緒に、「永遠の恋人父より」と書いたメッセージカードがベッドに置かれていた。おちゃめなところある。実は今も大切に持っている。

すごい溺愛されてますね。お父様から溺愛された娘さんっていうのは、何かこう、反発心があったんじゃないかなと思うんですけど。

yukoさん

ありあり!溺愛というより厳格な父でしたから。高校の事務長してたから余計に厳しかった。20歳まで門限6時だった^^;

早いですね。
生活を厳しく制限されていたから、逆にもっと自由に憧れて、「自由を手にしたい」と衝動に駆られたことはありましたか?

yukoさん

あったかも。意識してなかったけど。女扱いされるのは嫌だった。

その時の、もっと前向きにこう伸び伸びと、行動していこう、チャレンジしていこうという精神は今もありますか。

yukoさん

あると思う

今のチャレンジもそうですが、yukoさんが大きな壁にぶつかったときのお話はありますか?病気になる前で結構ですが、人生の岐路に立って「どうしたらいいんだろう」と迷ったことはありましたか?

yukoさん

いっぱいありすぎて忘れた(笑)

その時、症状として話しにくいなどのご経験があったと思うんですが、yukoさんの性格からすると、あまりくよくよせずに、何か行動を取られたんじゃないかなと思います。その時はいかがでしたか?

yukoさん

とにかく病名をはっきりさせたくて、病院巡りした。2年かかった。

ALS の診断を受けた時はどんなことを感じましたか?

yukoさん

やっとわかった。やっと確定したと思って楽になった。

ALSだと分かったとき、強烈に落ち込むようなネガティブな気持ちよりも、「はっきり分かった」と受け止めて、それを前向きに受け取られた、ということでよろしいでしょうか?

yukoさん

そう、そう。50才で発症。52才でALS確定。52歳で入籍。

もし伺ってもよければ、その時どんなお気持ちで入籍して結婚されたのかをお聞きしたいです。ご主人とお会いになったのはその前ですよね。その上でお二人で入籍して結婚された時、どんな心理状態といいますか、どんなふうに感じていらっしゃったんでしょうか。

yukoさん

生きていくために結婚した。別れる気持ちは毛頭なくて。

yukoさん

なんか感動しちゃいますね。すごいですね。お二人の気持ちがその時もぴったり合っていたんですね。で、生きていくために入籍して結婚した。

yukoさん

バカなのよ。怖さ知らず。

女扱いが嫌だって言ってスクーターとか、ダイビングとかいろんなことにチャレンジされたのも、逆に言えば怖いものに挑戦してきたってことですよね。だから全部どこか共通しているように感じます。先は一歩先どうなるかわからない、「これがイチかバチかだ」って。じゃあ結婚もイチかバチかですか?…いや、それは違いますよね。いやぁ、すごいですね。

yukoさん

(笑)

お二人ともそういうふうに考えられる二人って素敵ですね。

yukoさん

旦那がどうおもっているか知らない

一人で苦しむより、二人で苦しむほうが、絶対に支えになりますよね。

yukoさん

もともと精神力強いほう。とはいえ、未知の病気にひとり戦うのは無理なことわかってたし、現実は仕事も放り出せなかった。
旦那と結婚する前から2人で事業をやっていたから。
(※写真は高齢者向け宅配弁当事業の頃のものです。お弁当を届けるだけでなく、おじいちゃんやおばあちゃんの安否確認や状況状態の確認も一緒に。)

yukoさん

デイサービス全体の経営をご主人がやっていて、お弁当宅配の事業のところはyukoさんが責任者でしたね。
そんななかで、病気になられてから、いくつか大きな自己決定をされた場面があったと思います。どんな時にどんなふうにされたのか、お聞かせいただけますか。

yukoさん

気管切開のこと?

気管切開含め、様々な大きな決断をしないといけない場面があったと思いますが。いろんな葛藤もあったでしょうし、ご自身で決めたこともあったでしょうし、周りからいろいろ伺ったこともあったと思います。かなり気持ちが揺れ動いた時期だったのではないかと思うのですが、いかがだったでしょうか。

yukoさん

前提に「生きる」しか考えてなかったから。つけるつもりなのは、最初から思ってて。でも、果たしてつけて幸せにいきられるのかを模索してた。

その「幸せに生きる」というのは、どういうことを意味しているんでしょうか。

yukoさん

体が動かなくても望むことができること。

体が動かなくても望むことはできる――なるほど。今、yukoさんが「望むこと」とおっしゃいましたけど、具体的にはどんなことを望んでいらっしゃるんでしょうか。

yukoさん

立つこと。食べること。

今はどうですか?実際、立つ動作は?

yukoさん

立ててない。気切するまで立ってられたのに、寝たきりにさせられた。首下がりがあるから、カニューレを顎が押し下げちゃうから立てない。

気持ちの面で望むことっていうのは何かありますか?

yukoさん

障害者が気兼ねなく出かけられる世の中。受け入れる体制づくり。健常者との壁をなくすこと。

事前にいただいたお話の中で、少し症状が出てきたときに「障がい者という壁の真ん中にいるとか、向こう側にいるとか、今まで自分がこちら側から見ていた世界の反対側に行く」といったことをおっしゃっていましたよね。
yukoさんは、健常者としての気持ちも、病気になって障がいを持ったときの気持ちも、両方を知っていらっしゃるわけですが、それは健常者には分からないことだと思います。そうした気持ちを、yukoさんご自身として、健常者に伝えたいという思いはあるのでしょうか。

yukoさん

難しいですね。でも、将来あたりまえに車椅子の人たちが受け入れられる社会になるといいと思う。

今、ALSの患者さんがどれだけつらい気持ちを抱えていたり、いろんな困難と向き合っているかということは、まだ世の中の人には十分に伝わっていないと思うんです。そうしたことを、これからどんなふうに伝えていけたらいいとお考えですか。

yukoさん

今、とりあえず看護介護の現場に向けて、介護の仕方を変えていく意識を変えていくことを始めてる。あまりにも、介護の現場の未熟さを知った。学ぶとところに。なんと言えばいいか。
資格をとっててもあまりにも利用者の気持ちを無視した介護が多いことを知った。

このあいだ看護や保健師を教育してる先生が来た。その話をして、教育現場から変えていってほしいと提言した。
少しずつでも変わっていったらいいね。

お医者さんとの関係についてお伺いさせてください。事前にいただいたお話の中で、診断に時間がかかったことや、心ない言葉をかける先生がいらしたことをお聞きしました。また、現場で介護の未熟さを知った、というお話もありました。

そうした診断のことも含めて、今診てくださっている主治医の先生との関係、特に人としての信頼関係は、yukoさんにとってどのくらい大きなものなのか、お聞かせいただけますか。

yukoさん

頼りにしている。反面、全て任せてたら怖いなと思うこともある。患者会では当たり前によいとされている物を知らなかったりするので、自分で情報を集めて望む生活をするべきと思う。

「怖い」というのは、具体的にどういうことですか? 今までに「怖いな」と思ったことがあれば教えていただけますか。

yukoさん

本当に危なかったのは、気切の手術のあと。呼吸器はそれまでバイパップを使ってて、その設定のまま気切にもつけられてた。苦しくて。大きな有名な病院だったのに、そんなことにも気づかないまま退院して。あとになって、訪問医の先生が気づいてくれた。

ご主人の発言:在宅する時に、受け入れてるケアマネとかナースとかに、「こういうオペをしたから次の処置をこうしてほしい」と、そういうカンファレンス的なことをやってもらえませんか?って(病院の医師に)僕は言ったんですよ。
でも普通のことをやっているので、必要ないですって言われました。

今の訪問医(主治医)は私がこの呼吸器にかえたいと言ったら、ホントなら入院して設定しないといけないのを、ここでしてくれた。
今の訪問医はALSに詳しい人で、私が探して頼み込んだ。

今日はたくさんのお話を聞かせていただき、本当にありがとうございました。yukoさんの生き方や思いを知ることができ、大変貴重な時間となりました。これからのお話が、多くの方にとって希望や気づきにつながることを願っています。

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人工呼吸器をつけることを決めるまで

前提に「生きる」しか考えてなかったから。つけるつもりというのは、最初から思ってて。でも、果たしてつけて幸せにいきられるのかを模索してた。幸せというのは、体が動かなくても望むことができること。

いま悩んでること・困っていること

・痰のコントロールが上手くいかない。
・即戦力のヘルパーが少なく、教育に時間がかかる。
・介護タクシーチケットの助成が少なく、公共機関を使える体制が整っていないので外出が限られる。

皆さんへのメッセージ

ALSは残酷な病ですが、工夫とテクノロジーで生きていける病です。もし心が折れそうになったら、何かの形で吐き出してください。自らALSの渦に飲み込まれないことが大切と思います。そして、このサイトなどからヒントを得てあなたらしい生活を叶えてください。命ある限り、共に参りましょう。

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