山田 洋平さん
支えてくれる家族や仲間との生活を何よりも楽しんでいます。あとビールも。
2014年にALSと診断され、人工呼吸器を装着。
人工呼吸器のケア、障害があっても本人や家族が安心して生活送ることができるように、重度訪問介護事業所を自ら設立しました。
海外での経験から英語も得意で、国内だけでなく、SNSを通して世界中の仲間から悩みや相談を聞いてます。俺にNGはないよ♡
ずっと酪農の仕事をしていました。今でも牛が好きです。
妻と連れ添って25年以上経ちます。妻あっての俺です。
妻と子供たちのレースを見守る俺。家族と一緒にどこへでも出掛けます。すっかりファミリーマンです。
気持ちの変化
この内容は、2024年8月に山田洋平さんが日本ALS協会で「呼吸器患者の知恵袋」として発表されたパワーポイント資料をもとに、インタビュー風に読みやすくまとめたものです。かつては外出が困難だったご自身の経験を振り返りつつ、さまざまな工夫と努力によって克服してきた経緯を、楽しくわかりやすくお話しいただきました。ALS当事者の生活のイメージがガラリと変わるお話でした。ALS当事者ご本人だけでなく、ご家族や支援者の皆さんにもとても参考になる内容だと思います。ぜひ最後までご覧ください。 ※お話の内容は2024年8月現在のものです。
山田 洋平さん
こんにちは。札幌市在住の山田洋平です。
今年で47歳になり、ALSと付き合うようになって11年、人工呼吸器の助けを借りて8年になります。妻と中学3年生、中学1年生、小学4年生の子どもたちと暮らしています。
現在は日本ALS協会の理事や北海道支部長、ALS国際同盟の理事を務める傍ら、札幌市内で従業員20名ほどの重度訪問介護事業所を運営しています。自身のケアもほぼ自分の事業所のスタッフに任せています。札幌市からは重度訪問介護として月1000時間を支給されており、日中はほとんど2人体制でケアを受けています。
今の私の外出には特別なことはありません。ほぼ毎日、その日の気分で好きな時に出かけています。さらに言うと天候にも左右されません。大雨が降ろうが、嵐であろうが、外がマイナス30度であろうが、「そんなの関係ねぇ」と言って普通に出かけます(笑)。
ー山田さんにとって、外出はどのような意味を持つのでしょうか?
山田 洋平さん
3つの大きな意味があると考えています。
第1に「外出は一番のリハビリ」です。私は前開きの服ではなく、Tシャツにジーパン、そしてティンバーランドのブーツを履きます。着替える時には腕や足を上げ、体を左右に動かされ続けます。車椅子への移乗や、狭い玄関を抜けるために上体を40度以上に保つ必要もあります。さらに妻の荒い運転で地震のように揺れる車内では、常に体が動いている状態です。これ以上ないリハビリだと感じています(笑)。
第2に「避難訓練」になることです。ほぼ毎日出かけていると、ヘルパーさんの手際も良くなり、ベッドから車椅子への移乗、そして家を出るまでを30分以内で終えられるようになります。緊急時にはもっと早くできる自信があります。
そして第3に「QOL(生活の質)を上げること」に繋がります。子どもたちとコンビニやイオンに行くような、ごく普通の外出を楽しんでいます。天井だけを見続けるために在宅生活を始めたわけではありません。病院の延長線にある在宅など、在宅とは言えないと思っているからです。
ーそんな山田さんでも最初の頃はご苦労されたそうですね。
山田 洋平さん
私が気管切開を受けた8年前は、車椅子に10分も座っていられないような貧弱な人間でした。車椅子に座るとすぐにお尻が自分の体重を支えられずに悲鳴を上げていました。さらに当時は体の関節が硬く、全身に痛みがあり、一日の大半をベッドで過ごしていました。その当時は完全なる引きこもり状態で、2〜3か月家から出ないことが普通にありました。 痰の吸引は頻繁で、たまに外出すると異常な量の痰が上がってきて、外出どころではありませんでした。さらに外出のための人手不足もあり、当時お世話になっていた事業所に2か月前からお願いしなければならず、好きな時に出かけることができませんでした。そのお願いをすること自体にもストレスを感じていました。 そんな中、私に外出への思いに火をつけるきっかけがありました。 それは、当時まだ3歳になっていなかった末娘の言葉です。 「パパも好きな時に出かけられたらいいのにね」
その時の私は体が痛く、車椅子に乗るのが苦痛で家に引きこもっていました。せっかく人工呼吸器を使って生活を始めたのに、家族の行事に参加することもなく、ただ無駄に時間が過ぎていました。末娘から言われたそのひと言をきっかけに、私は少しずつ外出に向けて動き出しました。
それから課題を一つずつ解決していきました。
• 車椅子に座れない問題: 車椅子用のウレタン性の除圧クッション(※当時使用していたのは「リフレックス」という商品)を導入し、徐々に座れる時間が長くなりました。今では何時間乗っていてもお尻は痛くなりません。
• 全身の痛み: 週に6回の理学療法士とマッサージ師によるリハビリで克服しました。今では体の痛みは完全になくなりました。
• 頻回な痰の吸引: 低圧で持続的に痰を吸引してくれる「アモレSU1」という機械で解決しました。人工呼吸器を使うにあたり、一日の水分量を5リットルに増やしました。毎日体を動かし、十分な水分摂取を心がけた結果、人による手動の吸引をしなくなってから6年が経ちました。
• 人手不足: 自ら重度訪問介護の事業所を設立し、信頼できるスタッフを確保しました。これで、いつでも好きな時に出かけられる体制が整いました。
それ以来、家族の行事には必ず参加しています。日本ALS協会の活動や大切な酪農の仕事にも、じゃんじゃんバリバリと精力的にこなせるようになりました。今では移動中に一瞬で眠れるようになり、日帰りで往復600kmを「近所」と思えるくらいになりました。外出の延長で、年に数回は家族で泊まりの旅行にも行っています。
これらの小さな積み重ねが、昨年末に開催された国際会議※に参加することにつながりました。(※事務局追記:2023年スイスで開催されたALSの国際シンポジウムにご家族全員で出席されました)
8年前にはわずか10分も車椅子に乗っていられなかった私にとっては、大きな進歩です。
私の好きなフレーズに「継続は力なり」という言葉があります。
私の毎日の外出は、何も特別なことではありません。あたりまえのことの積み重ねが、外出になっているだけなのです。
ー外出時の装備について、工夫されている点をぜひ教えて下さい。
山田 洋平さん
私の外出時の車椅子の写真をお見せします。
車椅子にはすぐに使えるようティッシュをぶら下げ、ヘビーケア用のバッグをつけ、財布などの貴重品を入れています。
車椅子は2台目で、1台目の反省を生かしカスタマイズしていただきました。特に下の荷物置きを広く作ったことで、人工呼吸器、アモレSU1(低圧持続たん吸引器)、アモレ用のポータブルバッテリーを乗せることが出来ます。
そして枕にもこだわっています。雪の多い札幌ではどうしても道が悪く、頭が揺れないようにおでこで固定できるバンド付きの枕を別に作っていただきました。これは飛行機でも使えるよう、後ろ側にマジックテープと長さ調整できるバンドをつけています。※写真は実際に着用している様子。タオルを挟みおでこを枕についているバンドで固定。枕の後ろ側のマジックテープとバンドで車椅子や飛行機の椅子などに固定するイメージです。
その他、必要最低限として、アンビュー(手動の人工呼吸器具)、予備のカニューレ(シリンジ)、たん吸引器+サクション用の備品(吸引チューブなど)、排泄セット、吸い飲みと飲み物、タオルです。出かける場所に応じて物品を変えますが、荷物が少ないときは鞄ひとつで済むよう、今でも試行錯誤しています。
ー最後に山田さんが考える「外出を続けるコツ」って何でしょうか?
山田 洋平さん
人工呼吸器を使っている車椅子ユーザーの外出は、一見ハードルが高いように感じる方が多いと思います。ですが私は、まず経験してみることが第一歩だと考えています。多少無理をしないと外出はできません。自分に甘えていてはダメなのです。
毎日のようになった私の外出ですが、今でも外出のあとにはスタッフたちと必ず「その日の改善点」を話し合い、次のより良い外出につなげています。そうすることでスタッフみんなの自信につながり「外出なんて余裕のヨッちゃん!お茶の子さいさい!OK牧場!」という雰囲気になっています!(笑)
ー山田さんが工夫を重ねながらスタッフや家族の皆さんと外出を当たり前の日常にしてこられた様子が大変良くわかりました。ALS当事者や支援者の皆さんが考えたり行動したりするきっかけになれば嬉しいですね。ぜひまた色々とお聞かせください。ありがとうございました!
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3人目の子どもが産まれたばかりで、子どもの成長を見届けなくてはいけないという思いと、妻の後押しもあり呼吸器をつけることの決断はわりと早かったと思います。「どうしようも何も子ども産まれたばかりなんだから、呼吸器つけて生きるしかないでしょ!」という感じで妻が後押ししてくれました。
ALSで病状が進行して自分で息をすることが難しくなったので、機械で呼吸を手伝ってもらっているに過ぎません。私にとってはそれ以上でもそれ以下でもありません。
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