古内 孝行(たか) さん
高校時代にギターを始め、シンガーソングライターとしてバンド活動をしていました。
その後、飲食店に就職したことをきっかけに音楽活動はいったん休止。料理人兼店長として、忙しくも充実した日々を送っていました。しかしALSを発症し、仕事を退職。そんな中で、再び音楽への想いが芽生え、音楽活動を再開しました。
現在は、デイサービスで働くシンガーソングライター兼介護福祉士の “ゆうき” と出逢い、音楽ユニット「たか&ゆうき」を結成。活動をともにしています。
発達障害のある息子と、W介護の日々に奮闘する妻へ感謝を込めて作った楽曲『瞳の彼方へ』をYouTubeで配信。そこからCD制作へとつながり、所沢ミューズで初のコンサートも開催しました。
さらに、WITH ALS代表理事でクリエイターの武藤将胤さん主催「MOVE FES.2024」にも初出演。渋谷公会堂のステージで歌うという夢も叶いました。
今後の目標は、患者会などに直接足を運び、同じALSと向き合う方々の前で、これからも患者会などに足を運び、声が出る限り──歌って、生きていきたいと思っています。
介護士のゆうきさんと、音楽ユニット「たか&ゆうき」としてYoutubeやライブなど積極的に活動中
料理人の頃も、今も「人生、楽しんだもん勝ち」が僕の信条。人を笑顔にしたい気持ちは、ずっと変わりません。
言葉だけじゃ足りないほどの「ありがとう」を妻に伝えたくて、歌にしました。笑顔も涙も、悩んだ夜も家族と分かち合えたから、前を向くことができました。
気持ちの変化
時に──いえ、かなり頻繁にジョークを交えながら、笑いの絶えない2時間でした。
たかさんのお話には、聞く人を楽しませようという優しさが、あちこちに散りばめられていました。
料理人としての気配りとミュージシャンとしてのエンターテイナー魂。その両方が垣間見える、まさに“オイシイ”時間をありがとうございました!
たかさん
実は息子がてんかん持ちで。うちの妻がてんかん発作の「nanacaraアプリ」持っていて。今回のお話受けた時に「ノックオンザドア?私そのアプリ持っているよ」ってなりました。
息子が発達障害なんですが、今日も学校行く行かないでもめて。
毎日、怒ったり笑ったり、そんな感じですね(笑)。夫婦ともに飲食店出身なので、息子は飲食のサラブレットだから(笑)、人あたりはいいっていうか。そういうところを将来活かしてくれればなーって思います。
ALSもそうですし発達障害もそうですし「こういう事ができる」だったりの「道筋の情報」が少ない。病気になってもこういう生活ができるよとか、こういう人がいるよ、とか知りたいですよね。発達障害だとその先の就職とかそういった情報はあまりないし、もっと普通に情報が手に入ればいいなと思います。そうしたら、病気になった人の不安を少しでも減らすことができるかなと思って、今回のお話にのりました。気軽にそういう人たちとつながりやすくなればいいなって思っています。
ー先日は柴田さんのところにお話お伺いにいきました。
たかさん
宇都宮まで会いに?餃子食べました?(笑)柴田さんはすごいですよね。IT業者みたい。凄すぎて何言ってるかわからない(笑)名古屋のALSイベントも行ってきたんですか?
僕も去年は弾丸で行きましたよ。2025年は他のスケジュールが調整できなくていけなかったけど。orihimeもね出ててすごいですよね。藤田美佳子さんが日本橋のorihimeのカフェでねバリスタやったりしてますよね。日本橋のお店は今は外国のお客さんも多いみたいで。俺は接客は出来るけど英語ができないからなー(笑)
ーたかさんはそこで歌を披露されたりとかは?(笑)
たかさん
はは、いいですね。歌はね武藤さんとうまく繋がれればね今後もね。でも武藤さんは世界規模の人だから、あれだけど。去年は渋谷公会堂で歌いました。武藤さんのパフォーマンス近くで見てたんですけど、何がなんだか(笑)脳波でロボットアームを動かして、視線入力でDJやりながら。パソコンが20台くらい並んでて、ギリギリまで機器の調整もしてました。
すごかった!僕は真逆でアナログのほうなんですけどね
ーお料理もやっていたと聞きましたが
たかさん
音楽やってた時にお金なくて飲食店で働いて、そのまま店長になりました。料理づくりも歌作りも好きで。共通点があると思うんですよね、あるものからしか出来ない。「ドレミファソラシド」か「食材」の無限のアレンジですよね。何もないところから作るわけじゃない。もう出切っているなかからでる。だから昔の人のほうがすごいなって思っちゃう。
音楽と料理って世代関係なく話せるから、誰とでも話せるようになったっていうのもあるかも。
ー奥さまとの出会いの話ですが、WEBの記事に「自分(奥さま)が沈みがちだったときにたかさんと出会って救われた」って書いてありましたが・・
たかさん
その頃の俺は何でも吸収しようとおもってたから。どういうことでもネタになるっていうか。いろんな居酒屋とかいって常連さんにからんで色んな話聞いたりとか。2人で飲みに行ってるのに奥さんほったらかしで悪い人間(笑)。奥さんは他の常連さんが相手にしてくれてました(笑)。歌詞を作るのが苦手だったんんです、曲作るのはすぐ思い浮かぶんだけど。
自分だけのネタっていうのは難しいから、色んな人の聞いて作品にしてみたいなって思ってた。
今はだいぶ奥さん、明るくなったと思いますよ。お酒飲まないと本音しゃべってくれないけど(笑)。
よく2人で飲みに行ってました。付き合う前までは、飲み仲間みたいな感じだったんです。お酒を飲むペースが合ってたっていうか。
いやーでも、ひどい量飲んでましたね(笑)。ビール10杯飲んだから、次の店にするかー、みたいな。夜6時から始発まで飲む人間だった。よくないです(笑)。それが原因なんじゃな
いかって(笑)。
でも、その時期が一番楽しかったですね。今は1杯飲むか飲まないかって感じですかね。場所が居酒屋だと楽しいけど、飲めちゃうから「やばいかも」って思うときもあるんで、自分で
抑えてます(笑)。
ホントにもともとは「私が先に死ぬから」みたいな話を奥さんがしてたんで、俺は看取る気満々だったんですよ。
真逆になっちゃって、そこは「わりーなー」って思ってます。
いろいろ話せるのが、奥さんとの関係の強みかなーって。
ー今のたかさんのその明るい性格はどの時点くらいからですか?
たかさん
昔は野球少年だったけど、挫折しちゃって。
それで目標をなくしちゃいました。
高校も途中から行けなくなって、自律神経失調症みたいな、鬱みたいな……。
でも、それで優しくなれた感じがありますね。
それまでは、仕切りやみたいな感じで。中学では生徒会長もやってたし。
みんなでいろんなことやるのが結構好きで、誰も手をあげないなら「じゃあやろうかな」って感じでやってたかな。
いろいろ中心でやってた自分がいて。
でも、自分でうまくやれなくなったときがあって……。
ただ、音楽を始めてから、また戻ってきたような感じです。
学校に行けなくなった子たちの学校に通い始めて、その中にベースやってるヤツがいて。
それでギターを始めたんです。
そこから、またいろんな人と話せるようになりました。
前に自分が中心になってたときとは違う感じだけど、意外と楽観的なところもあって。
「なんとかなるさー」的な人間でもあったので。
ー息子さんにもたかさんの性格の影響ってありますか?
たかさん
スイッチはいると手伝ってくれますね、料理はできないけど。なんか、片膝ついて「何かやることはありませんか女王さま」みたいなこと言ってる時ある、どこで覚えてきたんだみた
いな(笑)僕の食事介助や飲み物のませてくれたりとか、たまーにだけどね、ホントたまーに。
仕事してるときは店長だったので、息子が寝てるときに出かけて。
平日休みだから遊べたときもあったけど、ほとんど家にはいなかったですね。
だから小さい頃は、「なんだこのおじさんは」くらいに思ってたときもあると思いますよ。
誕生日が9月だから、バイトに入ってくれる大学生がまだ夏休み中で。
毎年、休みをもらって家族で旅行してましたね。USJとか行ってました。
息子がジョーズが好きで。夕飯の時にジョーズ観たいって言って、人間がサメに食われるのを観ながら飯食ってるっていう(笑)シュールな家庭だな(笑)
今、息子が中1で。俺的には音楽やってほしいっていうのあるけど。小さいギター1本買ったけど、全然触ってくれない(笑)。指が長いから、やんないかなーって思ってる。
耳はいいのか、音程は外さないんですよね。言葉はうまく言えないんですけどね。
ー病気のことについて伺っていいですか
たかさん
スパゲティ屋の店長で、接客と調理の両方やってましたから、手を駆使してるし、最初は腱鞘炎かなって思ったんです。客席にドリンクを置こうとしたときに、手の握力が急にパッて入らないことがあって。
店長仲間に腱鞘炎で手術して治った人がいて、「1週間くらいで復帰できるよ」って言われて。で、大学病院に行きました。そしたら「腱鞘炎じゃないよ」ってなって、そこから検査・検査で。
ALSって転々とするっていう人が多いけど、僕は1箇所目で診断されたから、早くわかったのはあると思います。それでも、1年くらいはかかりましたね。
いろんな可能性を切り捨てていく診断で、針筋電図で反応を見るみたいな検査が一番多かったかな。
確定診断受けた時はご家族呼んでとかもなく、医師と1対1でした。最初ピンとこなかったんですよ「筋萎縮性側索硬化症」って言われてもそれが略してALSってわかってなくて。それで家に帰って調べてあーそういうことかっていう。
治る気満々だったので、診断をうけて半年後くらいに、大学病院に紹介状書いてもらって治験をやりました。半年間はそれで進行が止まりましたね。
治験を受けたのも、僕自身が結構早く歩けなくなって来ちゃって。診断受けるまで1年くらいあったのですが、その間に右手左足ってきてしまって杖がつけなかった。右手右足なら踏ん張れるけど、斜めにきた。性格が相当曲がってたからかな(笑)
ー診断を受けたときのお気持ちは
たかさん
最初に考えたのは、家族のことですね。息子は障害があるし、お金の問題とか、どうしたもんかなと。自分っていうよりは…自分は…喉にきて、しゃべれないっていうのは調べてわか
ってたから、そうなる前にどうにかって思っていたんです。
活動を始めたきっかけも、声を残したいっていうのもあるけど、家族に対してメッセージ性のある曲をつくりたいっていうのもあったし。妻の職場であるデイサービスに、ちょうどい
い相方がいたので会わせてもらって。
自分で曲は作れたけど、もうギター弾けなくなったから、鼻歌で。(相方のゆうきさんがギターを弾けるので)ちょうどいいやつに会えたなって思いました。
一時期、家から出れなくなっちゃって。
最初のうちは、散歩してリハビリしてればなんとかなるかなって思ってて。家で過ごす時間も長くなってきたから、ようやく息子とも遊べるようになってきて。
そんな時、家で転んじゃって。トイレ終わって倒れて、床から3時間くらい起き上がれないことがあって。
それから、身の回りのことで助けを呼べるようにしないとってなって。アレクサでエアコンと電気、それから助けを呼べるようにしています。
病気を受け入れはじめたっていうか、とりあえずできなくなったことがあって、それを自分で認めたみたいな。
料理できないから、料理番組見るの辛いなっていうのもあった。作りたいって衝動が、たまに出てくるんで。
ー出来なくなってきたことを受け入れたということでしょうか?
たかさん
病院で、自分の声を録音して、視線入力で自分の声が出るっていうソフトがあって。でもそのとき、120万くらいだったんです。
クラウドファンディングとかやって手に入れようって始めたんですけど、そしたらアプリとかで気軽に声を残せるのが出始めて、お金もかからなくなった。ある意味ラッキーですよね。
もっと前だったら、そういうのもなかったし。
今だからこそ、こういうふうにちょっと出来てるって思ってます。
結局、誰にでも起こることだなって思うこともあって。急に事故にあって動かなくなる人もいるわけで。そういう部分で、わりと共感というか……。
もともと病気になる前の自分もいるわけで、一方的に今の病気になった自分の吐き出したものだけだと、ちょっと違うなーって。そういう部分で、作っているもの(楽曲)に描いてい
る感じですかね。
「瞳の彼方へ」っていう曲も、ALSは目の機能が残るって言われてるけど、完全に閉じ込めの人もいるし。実際、知り合いでもいるし。そうなったとき、何が楽しめるのか。
感覚は残っているけど、発信する力はない。でも、耳は聞こえるから音楽は楽しめるかもしれない。想像力のなかでは、いくらでも自由は得られるわけで。
目を閉じてたら、なんとなく光が感じられることもあるし。そういうのが感じられれば、そこが感じられれば、そのなかで何か感じられるものを描けたらなと思っている。
だから「瞳の彼方へ」のなかにも、「瞳閉じればどんなところだって飛んでいける」とか、そういった歌詞を入れたりしています。
その場に行かなくても体験できる部分って、あるじゃないですか。
でも、やっぱり俺は体験したほうがいいかなって思うんです。外で食べると、より旨く感じたりとか。
目からも情報って入ってくるから、景色のいいところに行って食べるだけでも違うし。
だんだんアナログに戻ってほしいなって思ったりしてますね。デジタルって便利なんですよね。でも……。
究極いったら、もとに戻るんじゃないかなって。コーヒーを豆から淹れるとか、そういう人が増えてくるんじゃないかって思ってて。
ボタンひとつで何でも出てくる世界だけど、そういうのをだんだん求めなくなるんじゃないかなって。
勝手に思ってるだけだけど、自然に戻っていくほうが面白いなって思ってるんですよ。
ー病気になる前の自分の姿だけを見ていたら、「その時に戻りたい」みたいな気持ちになっていたかもしれないですよね。でも、病気になった後の自分のことも同じように見ていらっしゃって、だからこそ「今できることは何か」って考えられたのかなって、私は受け止めたんですけど
たかさん
会社勤めのときも、毎日同じことの繰り返しで「つまんないな」って思うときってあるじゃないですか。
でも、人生って結局、自分の考えで楽しんだもん勝ちかなって思うこともあったりして。
忙しいときにバイトを怒るのもどうかなって思ってて。俺、ホールの子がピリピリしてるのが嫌いなんですよ。だからホールに出る前に、その子をとりあえず笑わせたりして。
注意するのは簡単だけど、それって単純すぎて、自分の中ではちょっとつまらないなって感じてたんです。
どうにかうまく人を…利用するって言い方はあれだけど、うまくまわしていけたらいいなって。
そうすれば、負の連鎖というか、そういうのが起きにくいと思うんです。一人の子がミスして、また次の子も…みたいなことにならないように。
だって、お客さんは食べに来てる=楽しみに来てるわけだから。
裏のキッチンはもうとんでもなく大変なことになってるんだけど(笑)。でも、もともと「楽しませたい」っていう気持ちは、自分の中にあるのかなーって思います。
一人でやるっていうより、何人かの考えを合わせたほうがすごく好きなんです。
今の相方(ゆうきさん)の考えも入ってて、それがまた好きだし。
そのほうが、やっぱり楽しいんですよね。喜びが倍増するっていうか、楽しみが増える感覚があって。たまに「悟り開いてるんじゃないか」みたいなこと言われたりしますけど(笑)
ーこれからこういうことやろうかなっていうことはありますか?
たかさん
今、所沢市で考えているのは、世界自閉症啓発デーの「ライト・イット・アップ・ブルー」っていうイベントのことなんです。
ここ2〜3年、出演させてもらっていて、そのテーマ曲も作らせてもらいました。
今度クラウドファンディングをやって、今年中には所沢市の小学校とかデイサービスとかに配れるようにしようかなって思ってて。
合唱バージョンとかも作って、楽譜を作ってお配りしたりして。
自分のためというより、子どもたちのために。今はそっちが中心かなって感じです。
それがうまくはまってくれればいいなって思ってるし、所沢市で広がって、そこからだんだん広がっていってくれたらいいなって思ってます。
最初にも言いましたけど、そういう子たちが大人になってどうなっているのかって、あまり描かれていないじゃないですか。だから、そういう子たちがもっといろんな場で働けるように
なってくれたらいいなって思ってるんです。
そういった仲間も結構いて、子どもの友達の親とかもそうなんですけど、希望っていうほどじゃないけど、少しでも力になれたらって思ってます。
「患者会巡業」をしたいなと。何か所か行って、柴田さんのいる宇都宮にも行きました。そこで歌わせてもらったりとかもしています。
でも割と初期のころの人って、なかなか出会えないんですよね。僕と同じように、みんな一度は落ち込んでるし、外に出るのが難しくなったりする。そういう人たちに対して、何かア
プローチできないかなって思ってます。だから今回のこの話(WEBサービスなど)はでかいなって思いました。
医学的な情報は手に入るけど、そこで終わっちゃうと、医者とのコミュニケーションだけになって、「もうこれしないといけない」とか「もう胃ろうだね」とか、どんどん気分が落ち
ていくだけで。
「それだけじゃないよー」って言いたいんです。
患者会に行っても、僕はけっこう喋りっぱなしなんですけど、「今こういうこと困ってまーす」って言ってくれれば「そういう時これですよ」って僕は言えるから。
それに加えて、やっぱり歌ですね。歌は入りやすいと思うんです。
講演会っていっても、話だけ聞くのってちょっとおっくうですよね。よっぽど興味があって勉強したいって人なら別だけど。
落ちてる人にとっては、逆に変なふうに思われることもあるかもしれない。マイナスなことを考えちゃう人もいるかもだけど。
でも、自分ひとりじゃできないことも、いろんな人をうまく味方につけて。どこか行きたいところとか、やりたいことがあったときに、誰かが「やろうよ」って言ってくれれば、それで
いいんじゃないかなって。
そういう部分で、(自分の活動が)少しでもプラスになってくれればいいなって思ってます。
リアルで会うって、ある意味ひどいことしてるのかなって思うこともあるんです。将来こうなるのかなって思わせちゃうかもしれないから。特に気管切開とか。受ける側にとっては、
「将来こうなっちゃうのか」っていう現実を見せることになるかもしれないけど、そこはあえて見てもらったうえで。そこから知る、っていう。そこからどういう道を選んでいくかは人
それぞれだと思うし。
同じ患者の人に会うって、やっぱりそこはプラスだなって思います。
自分は本当に落ちた時にZOOMで他の患者さん(柴田さんたち)に会えたのが本当によかったです。
「身体動かないですよ」とか、そういうことだけじゃなくて、「こないだここ行ったんですよ」みたいな実体験も知ってもらえたらいいなって思うんです。
「え?家にいるだけじゃないの?」って思ってもらえたらラッキーだし。
「だったら俺も出てみようかな」って思ってくれたら、そこではじめて制度とかケアマネとか、そういった情報も共有できると思うんですよね。
ALSは特に、気管切開してる人なんかは「外に出る=命がけ」みたいに思ってるかもしれないけど、実際はみんな遠くからでもALSデーのイベントに名古屋まで行ったりしてるし。
命がけって言っても、極端な話、誰だって外に出たら車にひかれるかもしれないしさ。
患者同士の助け合いも大事だけど、もちろん理解してくれる家族やサポートしてくれる人だったりも大事です。
(家族やサポートしてくれる人と)うまくいってない話もよく聞くけど、逆に本人側が良くない場合もあったりするし。
そこはお互いにうまく歩み寄って、その日その日を楽しんでくれればいいなって思います。
だんだん1mm、2mmの世界になってくるけど、「これじゃないとヤダ」みたいになる人もいるみたいで。
でも、せっかくサポートしてもらってるんだから、「これくらいでいいかなー」みたいな、そのくらいのほうがいいんじゃないかなーって思ってます。点じゃなくて、幅を見てもらうっ
ていうか。
いろんなヘルパーさんがいるから、全員に同じことをやってもらうのは無理な話で。そういうときは、うまくやってくれればいいなーって思うんです。
ーALSで気付かされたみたいなことはありましたか
たかさん
そんな高尚なこと考えてないですよ(笑)この病気をダシにして音楽売れんじゃないのって、小汚いこと考えてるんですよ(笑)。
相方も音楽をやっていたし、俺と組めば天下とれんじゃねーみたいな。なんか、そういう面白おかしい考えになっちゃうんですよね。
どうヘルパーの人を集められるかっていう問題もALSのなかであるんですけど。ある程度、顔も売れて曲も売れて自分のことを認識してもらえたら、「その人ならヘルパーとして入りたいな」って思ってくれる人がいるかもしれないし。オーディションとかして、「楽器何ひけるのー?」みたいな(笑)。そんなくだらないことばっかり考えてます。
自分が声出せなくなってとかずっと24時間人の手を借りなきゃいけなくなったとき、どううまく味方を増やせるかなって。
自分も歌ってて楽しい思いができればいいし、さらにそこで雇用も生まれたらいいし。うまく回れば、面白いじゃんって。そんな、くだらないこと色々考えちゃうんですよ(笑)。人が増えてくれれば、「こういうことやりたいんだけど」って言ったときに、誰か手伝ってくれるかもしれないし。
ーー周りの人にも楽しんでもらう、その仕掛けをすることでたかさんのチームがどんどん楽しくなる。自分も周りも楽しめるかを中心に考えられてるだなってわかりました。
たかさんが店長の現場でバイトしたいです(笑)本日はありがとうございました!
開く
ALSみなさん共通の悩み。気管切開をするか?しないか?これはとても難しく、心が揺れています。ですが自分は、気管切開しても活動的な方々に会う機会があり、現在はその時が来たら生 きる選択をしようと思っています。その時が来るまでに、自分と楽しく生活をしてくれる仲間を集めて、準備を進めていきたいと思っています。
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